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耄碌(もう69歳+2)のKoala


by mouroku1949

ラインとは「ご縁」かな、R元7月17日、水曜日

けふは17日の水曜日、夕方に同級会あり。
ズボラな私は、昨日は疲れて早めに寝てしまったため、気分一新・・・・

昨日、7月16j日は、ナントカ休み(何でか知らないが休日が多すぎるグータラ日本)明け。
私は、3日間缶詰から解放されて、車を東に走らせた。

いつもは、ノンビリと骨休めを兼ねるドライブ気分になるはずが、
「ずっと気掛かりだったこと」が次の行動を決定させた。

それは、十数年にわたり公私共にお世話になっていたNTさんだ。
そういへば年齢も知らないが、多分70台前半か?。
越後の人の特徴が凝縮したような、不思議な魅力を持っている。

仕事上、知人から紹介されたが、初対面の記憶は曖昧で、諸事のことで忙殺されていた私には空気のような存在感の人であった。

6-7年前だろうか、定年?だか何かで後輩の若手、といっても、40代後半だろうが交代あり、その頃からなんとなく家族ぐるみのお付き合いが始まったと思ふ。

彼NTさんは、自己を語らなかったが、ポツリポツリと話す内容は、不思議と心の襞に残っている。
寡黙誠実で、古きよき時代の日本人そのもの。
仕事はきちんとこなし、頼りになる人物は、リタイヤ後のほうが存在感をあらわす。

家内も娘も、何かにつけ、困ったときに電話などで相談していた。

前置きが長すぎた、もっとその背景を記録したいけど、別の機会に。


2年前のことである。
わが家にジケンが起きた。

私は突然のことで頭が真っ白になった。今でも思い出したくない。

そのとき、娘は真っ先にNTさんに連絡した。
NTさんは、直ちに各所へ連絡して諸々の手配を事務処理手伝いをしてくれた。

この精神的空白時期に、私はLINE というものの存在を始めて知った。

娘が教えるままに、ゴチャゴチャ操作すると、
米国の娘とも、親しい友人とも、迅速かつ相互交信可能なツールであることに驚いた。

真っ先に仕事まで放り出して来てくれたのは、友人KDK君。
在学中は、会話の記憶すらなかったが、、、、

人は、繋がっていてこそ生きていられる。
この繋がりを、「ご縁」といふかもしれない。

なにか漠然としてわからないけど、眼にはみえない「何か」が助けてくれるのだろうか。

英語のLine について、辞書をひくと、驚いた。
おびただしい内容で、これは別項に。



数ヵ月後、私はNTさん宅を訪ねた。
遠慮するNTさんから、なかば強引におしかけたといったほうがいいかもしれない。

ナビを頼りにご自宅を訪れたが、NTさんは分かりにくいからといって入り口の所に立っていた。
そこは郊外の古びた住宅街で、おずおずと居間に案内してくれた。

エアコンが気だるい音をたてている6畳ほどの部屋は、雑然としていて本棚とピアノが見えた。
私は、近所のコンビニで買ったばかりの冷たいペットボトルを出すが、彼はポツリと言った。

「ああ、家内が弾いていたんですが、、、、、」と言って、隣の部屋にある位牌に目を向けていた。

誰に話すといふわけもなく、断片的に家庭のことを話しはじめ、、、、、
気がついたら、2時間以上経過していたと思う、   以後中略。

私は、転居云々でTKY、SK,SZKの間を幾度往復したかわからない。

それでも、いつも心の片隅にNTさんのことが気になっていて、
その年の忘年会を関係者5名で開いた。
NTさんは、酒の席では笑顔を絶やさなかったが、
今から考えると、その後誰もいないわが家に戻る寂寥感が如何ほどもののであったか、
NTさんの繊細な神経には、こうした宴会は悪い影響を及ぼしたかもしれない。

前回、彼のお家を訪ねたときは、神経内科受診開始後の頃だった。
玄関で何度ブザーを押しても出ない。エアコンが回っているから、数分後に繰り返すと、ようやく顔を出す。
近所にいるという息子さんが時々来ているらしいが、食事もしているかどうか分からない。
どうしても、お互いが気がねといふか遠慮で断片的な会話となってしまい、以降そのままとなっていた。

その後、思い出すと携帯に電話したが、いつも出ないのでずるずると時間を引きずっていた。

7月16日も、曇天。SMDの簡易ソファー上で目覚めた私は、自問自答した。
”To be or not to be.”

ここ半年以上も続く漠然としたもの、それを先延ばししてはいけない。
こう決心して、ほかの予定プランを破棄、優先順位を繰り上げた。

先ず、SZOK市郊外のお宅に着いたのは、途中給油してからで1時間ほどたった9時過ぎ。
さび付いた門扉と、ガムテープの貼られたポストで凡その見当はついたが、念のため数回ブザーコール。
どうしようかと躊躇したが、左隣の道路角のお家の前に立ち、コールボタンを押した。直ぐに80歳代と思われる血色のいい男性が現われ、尋ねてわかったことは、数ヶ月以上空き家で、もう戻ってこない?とのこと。消防署勤務のご子息のことを訊くと、SMZの消防署にいるらしいからそこで、と教えてもらった。

直ぐにカーナビをセットするが、同じ市内とはいえ距離が半端じゃない。バイパスを飛ばして、ようやく辿りつくともう11時。電話すれば、と思ったが、直接行って正解だった。受付で、対応した係員は、勘違いをしていたようだ。つまり、同じ姓の署員が複数いて、該当の人物はどうも別の署勤務の模様。 あちこち電話が行き来して、10分以上経過した。ようやく、該当するご子息と電話が通じ、現在の居場所を教えてもらう。

私は、即その介護施設に車を走らせるが、同じ市内でも、東から中央やや西にと引き返す形となり、30分もかかる。

12時10分前、ようやく介護付き老人ホームの窓口で確認でき、6階に案内された。
お昼の5分前、ドアの陰から車椅子上のNTさんの横顔が見えたとき、その日のゴールだった。

一年前と変わらない柔和な顔、視線が会うと、安堵感がこみあがった。

ご子息からの情報では小脳出血?、車椅子。それしかわからなかったが、高次機能中枢は障害をうけていないから、意思疎通は勿論、きめ細かな感情の受け答えも可能。
今は車椅子生活かもしれないが、残された機能はまだ充分ある、そんな嬉しさで、手短な近況報告をしただけ、おそらく数分の会話だったと思ふ。
Face to face のコミュニケーション。
これほど、その意味を実感できたことはなかった。
by mouroku1949 | 2019-07-17 10:09 | こころ